オカンと爪楊枝
オカンはシングルマザーだ。
オトンには妻とお子がいた。オカンはオトンに騙されたらしいのだが、詳しくは知らぬ。オトンは背が高くガリガリに痩せていたので、「ツマヨウジ(爪楊枝)」と呼ばれていた。
余が小さい頃は、ツマヨウジも頻繁に帰ってきていた。しかし余が小学校に入学し、オカンが外に働きに出るようになると、ツマヨウジの帰ってくる頻度はだんだんと少なくなっていった。そして、余が中学生になる頃には、帰って来なくなった。たまに帰ってきたかと思うと、オカンにお金を手渡して、インスタントコーヒーを1杯飲み干すと、また夜の闇に消えていった。ツマヨウジは、完全にATMだった。
それでもオカンは、ツマヨウジの帰りを待っていたと思う。我が家では誰もコーヒーを飲まない。紅茶党だ。相棒でいうなら冠城くん派ではなく、右京さん派なのだ。それでもキッチンにはいつも、インスタントコーヒーがおいてあった。オカンは、ツマヨウジがいつ帰ってきてもいいように、コーヒーは切らさなかったのだろうと思う。
ツマヨウジは無口だった。
一方オカンはいちど話出したらとまらない、マシンガントークの人だ。ツマヨウジがコーヒーを飲んでいる間、オカンは仕事や最近の出来事について、上沼恵美子師匠かのごとく、しゃべり続ける。ツマヨウジは、目を瞑って瞑想を始めている。もはや聞いているのか、寝ているのかわからない。完全にコミュニケーションが一方通行である。この状態のふたりがどのようにフォーリンラブに至ったのか、今世紀最大の謎である。
オカンは、瞑想ばかりのツマヨウジのことが知りたくて仕方なかった。たまに帰ってきたツマヨウジがトイレにたつときがチャンスだ。その数分間、マイホームは火曜サスペンス劇場と化す。オカンは音を立てずに玄関に瞬間移動し、ツマヨウジが脱いだ上着のポケットを隅から隅まで調べ尽くす。余は息を殺してオカンを見守る。ツマヨウジがいつトイレから出てくるか、ハラハラしながら。子供だった余は、ツマヨウジがトイレにたったわずか数分間の緊迫にワクワクが止まらなかった。
ツマヨウジが再び夜の闇に消えていくのを見送った後は、オカンと余の捜査会議が始まる。オカン捜査官の今回の調べによると、どうやら手渡されたお金の出所はショウヒシャキンユウというところらしい。世間知らずだった当時の余は、消費者金融がツマヨウジの勤務先だと思っていた。アホである。
余は今年、オカンが余をこの世に産み落とした年齢になった。オカンは今でもツマヨウジと定期的に会っているという。オカンのツマヨウジへの愛は深い。