オカンと断捨離
実家が荒れている。
今に始まったことではない。
オカンは団塊世代のレディースである。小さい頃はGHQ的なアメリカンなソルジャーにおねだりしてチューイングガムやキャンディをもらっていたらしい。オカンは、キャンディのことを"キャンデー"としか発音できない。ディズニーランドは"デズニーランド"である。ちっさい"ぃ"のない世界線だったに違いない。
オカンは物が捨てられない。
家は、物で溢れかえっている。余は物心ついたときから上京するまで、足の踏み場のない世界で生活していた。友達は家に呼べなかったし、家に呼ぶような仲の友達もいなかった。いきなり悲しい話になりそうだ。家庭訪問前の日はよなべして、あらゆるものを風呂場やトイレに突っ込むというイベントが開催された。
オカンによると、ひとつひとつの家具に、洋服に、鉛筆1本に、どうみてもゴミじゃね?と思うガラクタひとつひとつにまで歴史があり、手にとるだけでその時にタイムスリップできるのだそうだ。もはや家全体がオカンの思い出博物館なのだそうだ。実家は、物にあたらずに移動することが難しいので、オカンはトイレにいくだけでタイムスリップしまくりだと思う。
60歳を過ぎて、
さすがにオカン自身もこのまま人生の終焉を迎えるのはヤバいと思ったのか、断捨離すると言い出した。ただ、断捨離すると決心してから実際の行動に移すまで、5年かかった。断捨離できたと嬉々として報告してきたから、何を断捨離したのか尋ねたら、溜まった新聞だった。
オカンは、断捨離を決意して今年で16年目を迎える。オカンなりにがんばってはいる。断捨離が敢行される規模はごくごく小さい。オカンにとって物を捨てることは腕や足をもぎ取られるぐらい苦しいらしいので、だったらもういっそ今のままでいいんじゃないか、と思う。
オカンは甘え下手で、たぶん愛されることに慣れてない。オカンの異常なまでの物への執着は、満たされない気持ちの投影なのではないかと、最近になって思う。
オカンは言う。ときがきたら、すべて処分して洋服一着だけを残して旅立つと。
そんな日が来ないことを願ってやまない。