毎週土曜日、午後8時

毎週末、

実家のオカンに電話している。時間はだいたい、土曜日午後8時だ。余が上京してきたときから続けている習慣である。話題はもっぱら、オカンの近所や親戚のウワサ話だ。愚痴も混じる。おおむね1時間ほど、オカンが満足するまで右から左に聞き流す。率直に言って、尊き余の時間と精神を消耗している。

参謀であるポコ丸殿に相談したところ、「電話しなければいい」と言う。セイロンティーすぎる。しかし実行できずにいる。

なぜ、

余はオカンへの電話をやめられぬのか、自問自答している。ひとつ気づいたのは、余はオカンのためではなく、余自身のために電話しているということだ。オカンは、尊き余と話せない時間が2週間を超えると、いじける。「もう死んでもいいと思っている」だとか、「余に何かあったんじゃないかと思って心配で夜も眠れなかった」とか、「あと1週間電話がなければ、余の生存確認のために東京に行くところだった」などと言い出す。たいそう面倒である。いじけるオカンを平常運転に戻すのが面倒だから、毎週の電話をかかさないという、小さな面倒をひきうけている。週末の電話はオカンに対する純粋な心配や優しさによるものではなく、いわば、予防保全作業なのだ。なんと薄情者であることか。

オカンは社交的で寂しがり屋だ。誰かと一緒に外に出かけるが易く、ひとりで家に籠ることは難しい。一方、余は根っからのインドア派で、ただ何もせずに一日中家にいたい。オカンとは違いすぎる。

オカンは女手ひとつで余を育て上げた。余には子供がいないので、それがどれだけアメージングなことなのか、本当の意味で理解はできない。でもそれはオカンが選んだ人生である。オカンの苦労がチョモランマ級だったからといって、余がそれに報いることはできない。

今は

元気なオカンもいつかは死ぬのだろう。それはそう遠くない未来かもしれない。この週末の時間もいつかはおわる。もっと話をきいておくべきだった、もっと頻繁に帰れたんじゃないか、もっと優しくできたんじゃないかと後悔するかもしれない。いやきっと、なにをしたって、後悔はするんだろう。でも未来の自分に伝えたい。これが今の精一杯だったんだと。

余は、余のために毎日を重ねている。

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